おはようございます🌞
火曜日担当のぶんたです!
日差しが強い日々が続いておりますが、日焼けってなんともいえませんよね。
焼けている間は心なしか気持ちがいいのに、家に帰ってお風呂に入る事にはあちこち痛くて後悔、、、なんて事を毎年繰り返しています。⛱
少しは焼けていたいという気持ちと、痛くなりたくないという気持ちの板挟みですが、今年も炎天下に繰り出して気持ちよく焼いていきたいと思います。
実は私は大学時代に教育学部に入っており、
4年間教育学について学んでいました📖
無事教育実習も終え、
小学校・中学数学・高校数学の教員免許を取得しております🌟
その経験もあり定期的に教育について考える事があるのですが、学生時代の頃からずっと思っていた疑問があります。🤔
皆さん、義務教育時代(小中学生)、学校に何故行っていましたか?
私は
「みんなに会うのが楽しみだから」
「遊ぶのが楽しみだから」
など、「楽しみ」で学校に行っていました🏫
正直なところ「勉強しよう」と思って学校に行ったことはありませんでした。
しかし、大学では「どのように学ばせるか」を中心に学びますし、教育界でそこが重視されているように感じます。
おそらく親御さんからすると、学校に行って何かを学んできてほしいと思うでしょうし、そのための学校だという認識が世の中に広がっていると思います🙄
それは恐らく正しい事ですし、間違っていないと思います。
ただ、
「学ぶ」ことと「勉強する」ことが異なる
という事に対する理解が少ないのではないでしょうか。
学校で学ぶ事は教科だけではありません。
集団生活、食事などのマナー、友人関係の築き方。
それだけではなく、成功の喜びも失敗の悔しさも学校で「学ぶ」ものです。🥸
私は学校で学ぶべきものは、どちらかと言えば教科以外のところなのではないかと思います。
勉強は塾でも家でもできます。
しかし、集団生活や友人関係の築き方は学校で学ばなければ他に学ぶ場は多くありません。
本当であれば、教科を用いて「生きていくために最低限必要な力」を身につけていく事が求められるはずなのではないかと思います。🙎♂️
ですが昨今の教育の動向を見ているとどうしても「教科をいかに分かりやすく教えるか」に焦点が当てられているのではないかと感じます。
教科はあくまでツールであるはずなのに、いつのまにか「教科ができることが優れている」という雰囲気になってしまっています。
もちろん教科を分かりやすく教えるのは先生の役目ですが、現代には「塾」という優秀な教育機関があります。🏠
塾で勉強を教える事はできますが、「生き抜くための力」は教えていません。
だからこそ、学校では「生き抜くための力」を磨く事が大切なのだと私は思うのです。
教育を変える事は、日本の未来を変えていく事に直結します。🌅
恐らく一人一人学校に対して求めているものは違うのだと思います。
それはもちろん悪いことではないでしょう。
しかし、学校に対する「認識」は統一する事ができるのではないでしょうか。
国も、学校も、親も、子どもも、みんなが一つの認識を学校に持つ事が、教育をよりよくしていくための一歩なのではないかと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
ではまた来週!👋