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【人生】与えられて与えて。

皆さんおはようございますこんにちはこんばんは!

よしざわです!

 

さて、今週は私自身の≪心境の変化≫について綴っていきます。。

 

最近私は、人が喜んでいたり、嬉しそうにしていたり、美味しそうにご飯を食べているのを見るのが好き、或いはそういった時間に喜びを感じるということに気づきました。

というよりはそうなっていった心境の変化に気づいたという方が正解かもしれません。

 

また、先日ふとテレビをつけたら『0円食堂』という名物番組が放送されていて「なんとなく引き込まれて」見ていました。

そこで放送されていたのが、想像を絶するようなロス(廃棄)になる食材の数々。ロス(廃棄)になる理由は『商品にならないから』。決して食べれないこともありませんし、腐ってもいません。お客様側が形の大小や形状、その他細かーいところまで気にしてクレームを入れるためそのようにせざるを得ないとか。それを見て久しぶりに心がもやもやしました😖

そんなクレーム入れる人ほど食べるとき知らず知らずロスが多く食材大切にしていないのでは?なんて思ったり。

確かにスーパーで売られている商品って本当に美品ですよね。高品質の日本らしいといえばそうなのかもしれません。しかしその裏には大量のロスや美品に仕上げるために本来捨てなくていい部分まで捨てたり削ったりしているという事実があります。

とりあえず言えることは、売られている食材はできるだけ無駄なく消費することが表皮者の義務だということです。

私も自分に問いかけ肝に銘じます。。

 

食材ロスについては関心が非常に深くなったため、またテーマとして扱っていきたいと思っています。

 

次の話もつい最近のことなのですが、

三浦綾子さんの「続氷点」という小説の一フレーズを取り上げて問題提起している方の新聞記事が非常に、非常に印象的でした。

 

『一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである』

 

引用されていたのはこの言葉です。

どうですか?

私はこの言葉が妙にしっくりきました。

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考えさせられる記事です。。。

⇧この方の言葉を借りて言うならば、

両親から受け取った有形無形の施しを、自らの肥やしにするだけでなく次世代につないでいく、ということです。

考えてみればバトンやタスキを故意に自分で終わらせたり、有限なものを人と共有しているときに自分勝手に使い切るようなことです。

今の自分に害がなければ(ないなら)、自分が生きているうちの話じゃないなら、面倒くさいから、どうせ死んだら関係ないと自己中心的になる。

ドラマで『生んでってお願いしてないし!』的な発言有りますよね、あれと大差ないです。

 

過去、そういう思考がよぎる自分もいましたが、最近はそうではいけないと本心で感じています。

理論的に明快かつ説得力のある説明ができないのがまだまだな部分ではありますが、

私の行動で、自分自身も他人も変えていけるような活動がしていきたい、と思うようになりました。

 

「自分さえよければ、そういう人間が溢れている世の中なんだな」

ある格闘家の方が言っていました。

例えば権力者に対して『自分がうまみばっかり吸いやがって』とヘイトをぶつけるような人も、そんな人こそ、自分さえよければという思考の人、少なくない気がします。

発言や思考、行動が自己中心的な人間はどこか距離を置きたくなってきましたし、この先かかわっていこうとは思わなくなってきています。。

 

『ピースでいこうよ』

これもその格闘家の方が言っていました。

与えることで、自分がその行動をとることで、全員がピースでいけたらいいじゃん。

そういうことですよね。

そしてそういう考えの人には似たような考えの人が集まってきます。

 

私も、貴重な人生の時間でどうせならそういった考えの人がまわりにいた方がいいに決まってます。

先述したように、私の行動でそのような人が集まってきたり、誰かの考えを好転させられるような活動をしていきます。

NPOや社会貢献活動に興味も出てきたので、精力的に動いていきます👊

 

想いのほどをつらつらと述べたのでまとまりに欠けましたが、

皆さんも幼少の頃からの変化(心境や味覚等)を振り返って整理してみてもいいかも??

 

それではまた次回👋